コンバイン以前の技術
―忘れないために―

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手植え:4aほどの田ですが、半日かかります。
近所の子供たちとやっていました。

様々な栽植密度で植えてみました。
(自然にそうなってしまいました)

バインダー(刈って稲束にする農機)
bind(しばる)するからbinder

手刈、手で稲を束ねる作業(バインダー以前)

はぜ/はざと呼ばれる棒に刈った稲束を掛けて干す(乾燥機以前)

足漕ぎの脱穀機
(エンジン脱穀以前)

ハーベスター(自走式脱穀機)で脱穀

ちなみにコンバインはバインダーとハーベスターが一緒になった(combine)という意味です。

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―忘れてはならない往年の主役たち―

昔の働き手:馬君

農耕馬

 私が子供のころは、まだ【1馬力】が活躍していました。大町市には【借馬(かるま)】という地名が残っております。馬は農家にとって重要な働き手ですが、馬を買う余力もなかった時代に馬を貸し借りする事があったそうです。貸し手と借り手が取引した名残が地名となって残ったという事でしょうか。さらに時代をさかのぼって、【塩の道】街道を通じて糸魚川~大町間で【塩】と信州の産物を取引した時にその運び屋として重宝された馬の貸し借りが行われたのも、ここ【借馬】だと言い伝えられています。

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農業機械の台頭ー耕運機&トレーラー

耕運機

 「僕の名前はヤン坊、僕の名前はマー坊、2人合わせてヤンマーさ・・・」というCMソングがTVから流れたのを知っている方は、シニア世代です。日本の農業機械の歴史上忘れてはならない存在が畜力にとってかわったエンジンの発達です。ガソリンエンジンと並んで粘り強いジーゼルエンジンの小型化が、耕地面積の狭い日本での耕運機誕生に一役買いました。2輪の耕運機は現在のトラクターと同じようなロータリー耕の作業機がついています。

トレーラー

 このロータリー耕作業機を外して、椅子付きリヤカーのようなトレーラーを付けた耕運機が、安価でどんな山道でも荷物を運べると全国に広がりました。ギヤ比を変えてスピードを追求したので、ガソリンエンジン機が主力です。アジアの3輪、あるいはテクテクと呼ばれるような自転車やバイクでリヤカー的な荷台(人が乗る乗用構造になっている)を引くタイプと類似します。今はほとんど見る事がないです。

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トラクター

トラクター

 これに対し、ロータリー耕の能力を高めてゆく方向で、トラクターが登場しました。というのは、ロータリー耕の幅は、動力の大きさに比例するので、大きなジーゼルエンジンを使うと手押しでは運転が困難になり、小型4輪乗用トラクターに移ってゆきます。写真のように意気揚々と父親が運転するトラクターは15馬力です。私が某農薬会社で北海道農場を開設した時代(40年ほど前)には、クボタのトラクター30馬力が国内最大でした。同時期に、【暴れ馬の異名をとるジョンデアーのトラクター】は100馬力級で、北海道で使ってみると30馬力はまるでおもちゃの用でした。今では、国産のトラクターが100馬力を超えています。

 この【トラクターが誕生する過程】を、アメリカの開拓史と比較してみると大変興味深い事がわかります。今では、日本もアメリカもトラクターの作業機を取り換えて、ロータリー耕、ハロー、プラウなど同じように使いますが、馬-犂で畑を耕す代わりに2輪動力が登場し、その大型化の過程で4輪トラクターが誕生した日本とは対照的に、アメリカでは最初から4輪トラクターが誕生しています。アメリカの開拓は馬で始まり、4本足の馬を4輪にした動力機としてトラクターが位置づけられます。それゆえ、馬にひかせた作業機をトラクターにひかせるタイプになります。そして作業機を取り換えれば各種作業がこなせる体系ができました。日本のトラクター作業機は人と一体化して発達したのに対し、アメリカのトラクターは馬の代替として開発された点が極めて対照的です。この発想の違いが、繊細で細かい作業をこなす日本の各種農業機械の特殊性に繋がる事はとても興味深いです。

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移植機

手押し田植え機

 日本の近代農業は、農業機械の発展とともに変遷してきました。私が小学生の頃の田植えは、手植えでした。田植え休み(5-6月)とか稲刈り休み(9-10月頃)というものが1週間くらいづつありました。そのかわり、夏休みがお盆過ぎまでと短くされていました。大人たちは、この田植え休みを待って(あるいは田植えに合わせて学校が休みの時期を決める)一斉に田植えが行われます。【ええっこ】と言っていましたが【結】のシステムで、今日はこの家の田んぼ、明日はあなたの家の田んぼと数人から10人位の労働力が、そろって順番に田に苗を植えてゆきます。子供もその中に混じって苗を植える重要な労働力です。

 そんな光景が写真のような【田植え機】の登場で姿を消してゆきます。ちょうど中学から高校生の頃(昭和40年前後)だったと思いますが、最初の田植え機は手押しの2条植でした。育苗箱サイズは今と同じですが、今のように土を詰めて種子をバラマキするタイプではなく、ひも状のスポンジのような床で苗を育てて、機械がひもを引き出しつつカットして植えてゆくという方式でした。親父が得意そうに機械を動かし、母親が苗の補給手番をするという共同作業だったようです。余談ですが、大人になって母親から話を聞くと、実は親父よりも母親の方が機械の扱いは上手だったようです。

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