おひさまの舞台安曇野に伝わる安曇節
azumibusi

安曇節物語 


その三 サンシンとの出逢い

 三線との出逢い 

次に沖縄本島及び八重山諸島に唄の文化を尋ねることにした


2002年に5泊6日で行われたこの島の唄旅でサンシンと出逢うことになる。



あれから5年だいぶ腕を上げたな


これは07年4月13日

セイザン君

三味線のバチでサンシンを弾く

新たな文化の発信だ









11月12日は沖縄本島


那覇民謡スナック世座で琉球芝居の座長世座長惟さんの
太鼓を見ておどろいた。

舞うように打ち鳴らす太鼓はまるで舞台で踊る姿を彷彿とさせるのだ。

太鼓は習ったわけではないと言うが、一芸に秀でるとはこのことだろう。


13日は宮古島


世界一きれいと浜小屋の主人が言ったミヤークの海


空港でレンタカー会社の社長と雑談をしていると城辺町教育委員会の
課長さんが声を掛けてくれた。

「話の方は上田長福さんのことではありませんか?」

宮古島にナリヤマアヤグの古唄伝承者のおじいがいることを聞いていたのだった。

「よろしければ家まで案内しましょう」
と役場の近くの自宅まで親切に案内してくれた。

半日オジイからナリヤマアヤグの話を聞き唄も聞かせてもらい、帰りには
宮古島に伝わるオジイの唄を採録したCDをいただいて来たのだが、その後
ミヤークは大きな台風に見舞われたのでオジイがどうしているか機会を見つけて
行ってみようと考えている。


夜は民謡酒場琉球館



でビギンのCDオモトタケオをコピーしたショーを、忘年会をやっている
ホテルスタッフの若者たちと楽しんだ。


14日は石垣島


夜、民謡酒場安里屋で自慢ののどを披露すると二人のオジーから声を掛けられる。

「俺たちはこの島に来て知り合ったのだが、意気投合して毎年島に来ている」
とのこと

「ところで明日人形劇をやるから見に来ないか」と言うのだ。

自分は島の唄文化の勉強に来たので、本土からやってきた人形劇を
見に来たわけではないと一瞬思ったのだが、「まてまて人が薦めてくれることを
素直に受け入れる気持ちを持ってやってきた旅であった」と思い出し

「行きます」

「俺がやっている人形劇で一番有名なのはひょっこりひょうたん島かな」

と何気なく言うではないか。

ひょっこりひょうたん島は自分が少年時代、共に過ごしたほどの切っても切れない
テレビ番組だ。まさかそこの理事長さんに声を掛けられようとは。


15日は石垣から西表島


前年那覇の民謡酒場島思いで知り合った宮良長祥さんを訪ねる。あの時指笛を
教えてくれると、自分の口に私の指をくわえて音を出させようとしてくれたゆかいなおじさんだ。

旧交を温めてのち、帰りには西表の古酒やまねこを持たせてくれたのだった。

ハイミタの海岸で拾った浮き玉を郵便局からペリカン便で家に送る。

夕方石垣島市民会館に行くとなぜか雰囲気の違う人たちが多い。
よく見れば障害を持つ子供がたくさんいるのだ。こんな小さな島にこんなに
障害を持った人がいるのに驚かされ、開演前ボランティアスタッフが舞台に上がり
全員で手話で島人ぬ宝をやるのを見て、大きな衝撃を受けた。


自分は小さな悩みにくよくよして出来ることもやろうとしないのだが、ここにいる
多くの子供たちはやりたくても出来ないのだ。


「よし、この感動を伝えるために旅の帰りに三線を買って、島人ぬ宝一曲だけで
いいから引けるようになるぞ」と強く心に誓ったのだった。

その後

16日は竹富島


この旅の目的の一つに竹富島のクヤマの生家を訪ねたいという目的があった。
わずか150人しか生きることの出来ない島に絶世の美女が生まれた不思議。

フェリーを降りると白いサンゴの一本道を歩き始めるが場所がわからず
一緒に降りた人に声を掛けても観光客ばかりで話が見えない。

しばらく行くと一人の少女が足早に通り過ぎるので、声を掛け道を聞くと家が
近くだから案内してくれると言う。

後年島を訪れるたびに三線を少し弾かせてもらったこのお宅に挨拶をしている。

島に高校はないので本島那覇の学校にかよっていると言ったあの娘はどうしているだろう。


旅も佳境にさしかかり夕方石垣空港から那覇空港


夜は本島那覇のライブハウスチャクラに行き席を確認しようとすると帰ってはいけない、という。

宿にチェックインして出直そうと思ったのだが、荷物は預かるから帰ってはいけないと言うのだ。

1時間半も待ってもう30年もおっかけをしている喜納昌吉とチャンプルーズのステージを見た。

観客に向かって「何か質問はありますか?」と訪ねるので

「自分が死んだあとお骨をどうしてほしいか」と聞いた。

変な質問をするやつだと思っただろうが

「自分も最近先祖の供養をしたのだが30年経つと、お骨を酒で清めて土に還す。
その時は自然に涙が流れるのだ」

と話してくれた。

「そのサンシン譲ってくれませんか」と妹の幸子さんを通じて
話してもらったが、首を横に振られた。


さらにはしごをして民謡酒場島思いへ。

夜中の2時も過ぎた頃オジーが一人店に入ってくる。そのオジーを店の人たちが
取り囲んだ。「あのオジーは沖縄の芸能人がみんな一目おいているのよ」
とカナちゃんが耳打ちをしてくれた。



民謡ショーも終わった頃みんなに催促されて、オジーは自分のテーブルを一周
カチャーシーをゆっくり舞いながらまわった。

神と会話している!


帰るとき「小腹が空いたな」
と言うと

大城美佐子ママはスープがあるが飲むかと言ってくれた。

ママは映画ナビーの恋で本家のオバー役で大御所カテガルリンショウオジーと
絶妙な19の春を唄っている。


17日帰路


那覇国際通り三線店で三線を買う。

タクシーを奮発して空港に向かうと運転手さんも三線を弾くといっておもむろに
マイ三線を取り出してアサドヤユンタを一曲。

小牧空港からの乗り合いタクシーでもうれしくて乗客の了解を得ながら松本まで

相乗りをした二人の乗客に下手な三線を聞かせて島の唄旅も終わりをつげたのだった。


つづく

 北辰会   安曇節捜索 

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