放談その5 やっと修る!! 00.02.02
放談その4の最後で予告した内容とは、違ってしまいました。 何せ、気まぐれな“放談”コーナーなんでご勘弁下さい! (^^;
平成元年1月に購入したばっかりのGT-Rを、3月に事故って入院させてしまった私は、GT-Rを神奈川に残し、ひとり4月からの就職の為、長野の実家に戻ったのでした。
この時まで、オヤジ達には事故った事を隠していたので、当然 “ちょっと古いけど便利な4Dr スカイライン” で帰ってくると思っていたらしく、ひとり電車で帰った私は厳しい尋問を受けるはめになり、初めて事故った事を打ち明けたのでした。 当然オヤジにはコッピドク怒られ、このうえ実は44年式なんですとはとても言えなかったのでした、、、、
入社前には、説明会やなにやらで、何度か会社に呼ばれていました。
本来の予定では、これに、バリバリのハコスカ GT-Rで乗りつけるつもりでしたが、アシの無い私は、哀れオフクロの軽トラ(スズキ キャリー、 オフクロはキャリー一筋!) を借りて行ったのでした。 (ミジメ、、、、、でも、結局は自業自得ですね!)
実は、うちの奥さんは同期入社で、やっぱり会社の事前説明会に来ていました。
それで、この時の事を覚えていたらしく、“スーツ着て、汚い軽トラで来た人がいて、驚いた”っと言われました。
(ホットケ!!)
オヤジ 怒る!!
そんなこんなで、バブルのおかげで就職できた私は、4月以降は電車か単車(GS)で通勤していました。
4月もそろそろ終わる頃、ようやくGT-Rの修理が終わったと連絡が有りました。 土曜日に仕事が終わったあと、電車で神奈川に取りに行きました。 留年した友達のところに泊めてもらって、日曜日に修理屋さんに取りに行きました。 そこには、バッチリ修ったGT-Rクンが待っていました。 この時は本当に嬉しかったのを覚えています。 うれしいあまり、江ノ島、ガレージ湘南なんかを遊び歩いて、結局相模湖から中央高速に載ったのは、夜10時頃でした。 確か、雨が降り出して、ビビリながらほとんど制限速度で帰って来た覚えがあります。
途中何度か休んで帰って来たので、実家に着いたのは確か、夜2時頃でした。
さすがに疲れて、庭にGT-Rを置きっぱなしにして、爆睡してしまいました。 朝になり爆睡中の僕を叩き起こしてくれたのは、庭から聞こえて来るオヤジの怒鳴り声でした、、、、、、、“オイッ! コリャなんだ! お前修理の代車で帰って来たのか!!” (この修理の代車って言葉は痛烈に記憶しています、、、) “まさか、こんなクルマ買ったんじゃね〜だろ〜ナッ!” 寝ぼけた頭で庭に出た私は、オヤジの前で証人喚問状態になっていました。 どこかの政治家みたいに、“秘書が買いました”っとも言えず、“これがそうだヨ”っと言うしか有りませんでした。 オヤジは、“お前! いい歳してこんな シャコテイ 乗って、また暴走族でもやるつもりかっ!!”っと大変なけんまくでした。 この頃オヤジは公務員をしていたので、警察の暴走族追放!みたいな講習会とかを受けていたらしく、“シャコタン”っという専門用語を知っていた様ですが、悲しいかな“シャコテイ” っと、間違えて覚えた様です。 (シャコタンって、漢字で書くと、車高短。 でも、確かに車高低っと書いた方があってますね 笑) “お父様、それをおっしゃるならば、シャコタンです!”っとのつっこみも入れられず、ただオヤジのオーバーヒートがおさまるのを待つのみでした。
でも、このごに及んで、まだ44年式という事は黙っていました。
言ったら、オヤジのヘッドガスケットが吹きぬけそうだったので、、、 (^^;
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修理代 26万円也でした〜〜 | 毎週洗車していた覚えがあります |
こうして、スッタモンダが色々有りましたが、なんとか無事に(?)GT-Rは家族の一員になったのでした。
車庫は、無理やり農機具小屋を片付けて、なんとか確保しました。
しかし、オヤジ、オフクロ、バーちゃんから見ると、やっぱりただの古いクルマだったのです。 よって、家族からは、ごくごく普通のクルマとして扱われました。 特にバーちゃんは、“孫がクルマ買って色々便利になった〜”的な感想しかなく、私とGT-Rは実に色々な注文を受け、GT-Rは実に色々な使われ方をしたのでした。
バーちゃん攻撃
バーちゃんにとっては、ボンネットの高さが絶妙な“台”だったのです。 なので、実に色々なものを干して頂きました。 (モチロン、私の知らないうちに干してあるんです!)
ある時は、夕顔を薄く剥いたもの(いわゆる、カンピョウ)、皮を剥いた柿、大豆、小豆、ヘチマも乗っていました、、、、、、まあ、せめてもの救いは、ゴザを敷いてから干してあった事ですが、、、、。 何度、“頼むから、俺のクルマに色々干すのは止めてクレッ!”っと言ったか分かりませんが、この攻撃はなかなか終わりませんでした。 (GT-Rがベンツとか、フェラーリであっても、きっと干されたんだろうな〜〜)
また、実に色々なものを運ばされました。
親戚に、米とか、野菜とか、肥料とか、軽トラで運べばいいもの(いやっ!運ぶべきもの)を、何度も運ばされました。 なかでも痛切に覚えているのが、“鶏糞 ケイフン”です。 いわゆるニワトリの糞ですが、土壌の活性化の為には有効な肥料で、一般的にも売っていますが、とにかく匂いが強烈なんです。 これを15kgほど親戚に持って行って、バーちゃん自ら畑を耕すという事でした。 さすがに車内には置けないので、肥料袋を別の大きな袋に入れて、トランクに入れました。 そして、バーちゃんを乗せて親戚へと向かったのでした。 皆さん! シャコタンのハコスカGT-Rで、トランクには鶏糞を積んで、助手席にはクワを持ったバーちゃんを乗せて走る姿を想像してみて下さい。 きっと笑えるはずです、、、トホホホホ、、、、
でも、昔からバーちゃんの頼みは“ヤダッ!”っとは言えず、ほとんど聞いていました。
そんなバーちゃんも、先日90歳で亡くなりました。 クワを持ったバーちゃんをGT-Rに乗せたのも、いい思い出になりました。