念願のS20 オーバーホール!
O/H Page No.3 “エンジンルームのO/H”
O/H Page No.4 “エンジン組み立て”
それは、妻の“出来たかもしれない” という一言から始まりました。
平成元年に購入した我GT-Rでしたが、他の人のS20の音を聞いているうちに、明らかに自分のエンジンは “ヘンな音” がしている事に気づき、ずっと気になっていました。 この音とはタペット音でしたが、本当にウルサイ音がしていたのです。(どの位ウルサイ音かというと、高速の料金所のオジサンに、“ガチャガチャいってるヨ!”っと言われるくらいの音だったのです)
なので、どうしてもO/Hがしたかったのですが、そうこうしているうちに結婚したりして、なかなか出来ずにいました。 しかし、結婚数年後のある日、妻から “出来たかもしれない” という報告を受け、嬉しいという気持ちと共に、頭の中では “これは、今のうちにやっとかないと、絶対できなくなる! 善は急げだ!(使い方が違う様な、、、、、)” という緊急の意思決定が下されたのでした。
さっそく、メンバーの曽根原クンに手伝ってもらい、エンジンを下ろしました。
降ろす前のエンジンです。 本当にキタナイ状態でした、、、、、
ちょうどこの日は、弟が婚約者を初めて実家に連れて来る日でしたが、こっちには時間が有りません。(オイオイ、、、、) 綺麗な格好をしたオヤジ、オフクロ、弟、婚約者に混じって、僕だけはツナギで挨拶したのでした。今でも義妹には、“初めて行ったら、庭先でエンジンを下ろしている人がいて驚いた”と言われます。
エンジン自体は、曽根原クンに手伝ってもらったのと、曽根原クンの“源泉徴収チェンブロ”の威力で1時間程で降りました。
エンジンに乗っかって、ボルトと必死に格闘しました。 チェンブロは小屋の梁に掛けましたが、途中で落ちないか冷や冷やしていました。
問題はこの後でした。
エンジンのO/H は、当時東京高井戸に有った日産ピー○に予約していましたが、問題は重いS20をどうやって運ぶか?でした。
宅配便で送る事も考えましたが、大事なエンジンを人任せにするのも気が引けたし、ピー○に行ってみたいという気持ちも有り、自分でエンジンを運ぶ事にしました。
この為の、トランポは、オフクロの当時はまだ新車だった、スズキ キャリー君になりました。
これに、S20を積んで、先輩と二人で中央高速をひた走ったのでした。 確か豊科ICから高井戸まで、3時間半位掛りました。(遠かった、、、、、)
ピー○では、“長野から、これで高速で来たの?”っと、驚かれました。
S20が載っているだけで、このキャリー君が速そうに見えるのは僕だけでしょうか?(笑)
次のページで分解をご紹介します。